■信楽焼と朝鮮通信使■
【はじめに】

はお隣の国、韓国ブームですが、今日まで私たち日本は、数々の恩恵を受けてきました。そのひとつに朝鮮通信使があります。さかのぼること200年余、鎖国時代の真っ只中、徳川幕府が善隣友好として朝鮮通信使を招き文化などの交流が盛んに行われていました。

代の石野伊兵衛は、その日韓交流のかけ橋の一翼を担いました。徳川幕府から命じられて朝鮮使節団の饗応の為の食器を作られた歴史が残っています。
信楽焼との歴史を知る上での貴重な資料となっております。ぜひご覧下さい。


 

こころの交流 朝鮮通信使
【朝鮮通信使とは】
戸時代は「鎖国の時代」と言われている。しかし、日本と中国・オランダとは「通商の国」として、日本と朝鮮・琉球とは「通信の国」としての外交関係があった。したがって、江戸時代を単純に「鎖国の時代」などと言うわけにはいかない。その「通信の国」である朝鮮と琉球からは、国王の使者が日本へ派遣されている。


鮮から派遣された使節を朝鮮通信使と呼ぶ。「通信」とは「信(よしみ)を通わす」という意味である。朝鮮通信使をめぐる交わりは、信頼関係に基づいた江戸時代の日本と朝鮮との平和と善隣友好を象徴していると言ってよい。



臣秀吉の朝鮮侵略は秀吉の死によって終わったが、この戦争は朝鮮を荒廃させた。朝鮮に出兵しなかった徳川家康は、松雲大師水惟政との交渉を経て、朝鮮との国交回復を果たした。以後、徳川幕府はこの朝鮮通信使の来日を、「将軍一代の盛儀」として重要視した。1607(慶長12)年から1811(文化8)年までの約200年間に、朝鮮通信使は12回来日した。徳川幕府の慶事や将軍の代替わりごとに訪れて、朝鮮国王の国書と徳川幕府の将軍の返書との交換が行われた。第2回は京都伏見まで、第12回は対馬まであったが、それ以外は江戸まで往還し、そのうち第4回から第6回は日光へも足跡を残している。


鮮通信使は正使・副使・従事官の三使以下、画員・医員・訳官・楽士など総勢約400人から500人にのぼる大使節団であった。朝鮮の都漢城(現在のソウル)から出発し、半年以上かけて、江戸までの往復約3000kmを旅した。この旅の先々で通信使は多くの文人達と筆談・唱酬で交歓し、またその朝鮮通信使船団・朝鮮通信使行列は多くの民衆に熱狂的に迎えられるなど、日本の各階層の人々に多大な影響を与えた。
【信楽焼 饗応食器】



■朝鮮人御用信楽長野村焼物雛形控■


1811(文化8)年の第12回通信使は対馬での聘礼であった。

その際に必要な食器の注文の控えである。

下記の食器はそのサンプルとして残されたものであろう。

食器の種類と規格、数量が図入りで書かれている。

碗・蓋付小鉢・皿・猪口・飯櫃・しゃもじなど16種類で、総計4370点の大量注文であった。



■朝鮮通信使接待用食器■


一般的な長石の混じった信楽焼とは異なり、肌理の細やかな土を使用している。

作りも薄く、手に持ってみると軽い。

色合いは一見、朝鮮時代の白磁を連想させる。
【21世紀の新たな善隣友好へ】
鮮通信使は、 1811 (文化 8 )年、対馬に来たのを最後に来日しなくなった。朝鮮通信使の派遣・受け入れに、両国とも莫大な費用を費やしていた。日本側では 1 回に 100 万両を要したとも言われている。現在の金額で約 700 億円である。経済的負担が両国とも重荷になりつつあった。一方、 19 世紀に入って世界の列強はアジアに目を向けはじめ、列強のアジアにおける利権争奪に両国とも巻き込まれていく。このように朝鮮も日本も、もはや使節を派遣したり受け入れたりできる状況にはなかった。


末・維新の大変革を経て、日本は朝鮮をはじめとしたアジア諸国への侵略を開始しはじめる。朝鮮半島は、 1910 年の韓国併合から第 2 次世界大戦が終わるまで、 36 年間日本の植民地支配を受けた。 
戦後、米ソ冷戦の中で、朝鮮半島は南北に分断されて、現在に至っている。 1965 年、日韓基本条約が締結され、日本と大韓民国とは国交が回復した。その韓国とは、特に 1988 年のソウルオリンピックを前後する頃から、民間レベルの交流も飛躍的に拡大した。 2002 年には日本と韓国が共同開催するワールドカップが行われようとしている。この共同開催を契機として、善隣友好関係をますます発展させていかなければならない。また、朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化も課題にのぼっている。


 
のような時期に、今いちど江戸時代の善隣友好の象徴であった朝鮮通信使を見直すことは、大きな意義がある。善隣友好の歴史から教訓を学び、 21 世紀を戦争のない平和な時代にしていく事は、新世紀初頭に生きるわれわれの責務と言えよう。

写真及び文章は
【 こころの交流 朝鮮通信使】〜江戸時代から21世紀へのメッセージ〜朝鮮通信文化事業推進委員會発行
【 こころの交流 朝鮮通信使】〜江戸時代から21世紀へのメッセージ〜京都文化博物館・京都新聞社発行 より引用しました

【店長 いしのしんやは思います】

在に至るまで、日韓について様々な議論がされていますよね。何が間違いなのか、何が正しいのか…と、それぞれの立場によって見方が分かれてしまいます。しかし「時代は変わっても歴史は変わらない」のです。
大恩のある隣国との関係を、お互いに理解を深めながらより強固に世界平和に向けて進んでいく使命が日本と韓国にはあるのではないかと考えます。
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