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7号
■武士の気概を見せた日本一の兵「真田幸村」 線

本名は信繁で、幼年時には上杉景勝、 ついで豊臣秀吉の元で人質生活を送る。
関ヶ原の戦い終了後、九度山に流されるが、 後に豊臣家からの招きに応じ大坂城に入城。
1614年から始まった大坂の陣で奮戦し、 「日の本一の兵(つわもの)」と称された。

生涯に渡り、主君をさまざまに変えながらも、戦に挑む気概とその武士としての実力は認められ、当時の武将たちに気に入られただけでなく、現代も多くの人たちにその生き様は根強く支持されている。

信楽焼歴史兜7号
家紋入れ・名前入れ兜詳細ページ
<名入れは別料金>
■多くの武将に気に入られた真田幸村の人物像
線

 真田幸村は1567年、真田昌幸の二男として生まれました。
 なお、幸村は本名を信繁といい、一説には主君であった武田信玄が幸村に期待して、自ら進んで信繁と名づけたともいわれています。
  しかし、主君である武田家滅亡ののち、真田家は後北条氏、ついで織田氏、更に徳川家康に仕えました。
 ところが1585年、父の昌幸は家康と離反、幸村を上杉景勝のもとに人質として送り込まれます。そこでの幸村は柔和な性格と寡黙な態度で上杉の家臣たちに親しまれます。
 その後、1586年には豊臣秀吉の元へ送られます。秀吉は幸村をたいそう気に入り、幸村は人質でありながらも秀吉の近習に取り立てられ、ついには豊臣の姓まで賜ります。
 秀吉の死後、豊臣と徳川の間に挟まれた幸村は豊臣側につき、関が原の戦いを経て豊臣方の武将として大阪城に入り、大阪冬の陣などの戦いを率います。
 大阪夏の陣ではあと一歩のところまで家康を追い詰めましたが、結局家康の首を取ることは叶わず、命を落とします。その後幸村の敢闘は、敵方であった東軍でも大評判となり、あの武名誉れ高い島津家でさえその活躍を聞くと、
「真田は日の本一の兵(つわもの)である。
異国のことは知らないが、古来からの日本にはこれほどの人物はいない」と幸村を評しています。

井伊直政
(1567-1615)
真田幸村の名言
「夢をつかんだ奴より、夢を追ってる奴の方が、 時に力を発揮するもんでさぁ」

「関東勢百万も候へ、男は1人もいなく候」

「一旦の約束の重きことを存じて較ぶれば、信濃一国は申すに及ばず、日本国を半分賜はるともひるがえしがたし」


「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか。」


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